ACのCM「こだまでしょうか」の意味まとめ
震災以来テレビのCMで流れているACの
「こだまでしょうか」
みなさん何度も耳にしてますよね。
最近ではバージョンも増えてますね。
童謡詩人・金子みすゞの「こだまでしょうか」という作品ですが、詩集「わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集」に収録されているこんな詩。
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「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
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この詩ですが、最後の2行の
>こだまでしょうか
>いいえ、誰でも。
の意味が分からないって人多いですね。
分からないっていう人も、国語が苦手で本当に意味が全く分かってない人と、何となく言いたい事は分かるけど、文章的にどうも納得いかないって人がいると思います。
僕も始めCMを見た時は、同じように言葉が返ってくるので、こだまのようですが、人間同士のやりとりで、人にやさしくすればやさしくしてくれるし、きつく当たればきつく返ってくる。
だから人にはやさしく接しましょう。
的なものだろうと何となく安易に考えていましたが、すごく違和感は感じていました。
優しい言葉には優しい言葉、きつい言葉にはきつい言葉…
やさしさにやさしさ、きつさにきつさ…
それなら結局言葉と態度の違いはあれど、内容的にはこだまですよね…
そこを主張したいのなら、
こだまでしょうか…
そう、人間(の心)はこだまなんです…
(だから人には優しくしましょう)
的な文章が自然だと思います。
(もちろん詩なので、省略されている部分と、読み手が考える余地は残してあるのだとは思いますが)
でもこの詩では、いいえ、と否定しているのだからやっぱりこだまに対して否定の意味を含む何かがあるのでは?と思いました。
と、いうことで考えてみました。
CMの映像では子供同士の会話のように撮影されていますが、はじめ僕はこの会話は親と子の会話のイメージを持っていました。
そして日常のやりとりの中で親の悪い言葉使いや、やさしいことばや気持ちを鏡に映すように覚えていく子供。
その中でふと感じた事…
こちら側の「悪い言葉や気持ち」はそのまま「悪い言葉や気持ち」として返ってくる…
また、「やさしい言葉や気持ち」も「やさしい言葉や気持ち」として返ってくる…
こだまでしょうか…
※ココから重要!※
こだま…
それには2つの意味が隠されていると考えました。
1つ目は、一般的に考えるような、そのまま跳ね返ってくる「やまびこ」の「こだま」
そして2つ目は、子供の魂と考えての「子魂」「子霊」(そんな言葉はないですが、言霊をことだまと読む感じ)
この2つを含ませて考えると、
>こだまでしょうか は、
この相手の言葉を純粋にこだまのように返す事が出来るのは、純粋なこだま(子供の魂=子魂、子霊)だからでしょうか…
>いいえ、誰でも
いいえ、大人には意地やプライド、偏見などがあって外からは見えにくいけど、子供だけじゃなく、誰でも(大人もみんな)持っているもので、優しさをもって接すると優しさで返ってくるんだよ…
と、違和感なく繋がると思います。
親と子の会話としても、子供同士の会話を見ている親の立場としても成立しますよね♪
意地を張った大人はあとでさみしくならないかもしれませんが、誰と誰の会話かを掘り下げるのは難しそう
でも僕の中ではこれでスッキリしました。
ガッテン!ガッテン!
詩というのは作者に聞かないと、本当の意味なんて分かりませんが、深く掘り下げていくと人それぞれの意見がありますね♪
歌と同じで、聞き手の経験や環境によって受けとり方が変わってきます。
実は無邪気な大人同士の会話でした〜なんていうあって欲しくない、大どんでん返しの可能性もありますし…
無い事を願う…
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